2週連続でコウタケ採りに行ってきた。
今回はせつなさんと、もう一人別の生きものクラスタの知人を連れて。
先週の大発生の後、巨大な連休と荒天があったため条件は非常に厳しかったが、実績のある斜面を下から丁寧に登っていくと、先行者たちの目を逃れた巨大なコウタケが点々と残されていた。
最終的にはせつなさんの索敵能力のおかげで、無事お土産に十分な量のコウタケを確保することができた。
コウタケ礼賛
僕はコウタケが大好きだ。
まず何と言っても香りがいい。
そのうえ味も抜群だ。
軽く干したものの天ぷらが2、3切れもあればその晩は幸福の絶頂でいられる。
他にもこのよく分からん見た目や、突然馬鹿でかくなったりするところもたまらないのだが、
個人的にその最大の魅力は「敵の多さ」だと思う。
普通のキノコだと敵はナメクジ、キノコバエそしてシカといった捕食動物たちだが、ごつくて丈夫なコウタケにはあまりこれらの生きものは来ない。
しかし、それを補って余りあるほどに、ライバルたちが多いのだ。
コウタケ戦争
僕の行く山梨県郡内地方ではコウタケは大変珍重されており、店頭ではそれなりの高値で取引されている。
マツタケやマイタケがそれほど多くないこともあってか、プロハンターにとっても本命のキノコなのだろう。
(ここでいうプロハンターは、趣味の延長で採れたキノコを道の駅などに卸している人のこと。山梨県では資格等があるわけではなく、ほとんどは小遣い稼ぎで行っているようだ。)
以前、山中で出会ったハンターにコウタケの発生斜面を(ざっくりと)教えたところ、袋から大きな天然ホンシメジ(時価数千円)の株を取り出し「うめえから食べろし!(甲州弁)」と分けてくれた。
それくらいこの地域、というより東日本では強く愛されているキノコである。
だからこそ、彼らを出し抜いて巨大なコウタケが採れたときには本当に興奮する。
収穫を得るまでに、釣りや素潜りとはまた違った能力が問われるからだ。
キノコ狩りは牧歌的な趣味のように思われているが、コウタケ、マイタケなどにおいては全くそのようなことはなく、まさに情報戦の様を呈する。
前年までの発生実績、地形、方角、山を構成する岩石の種類、沢、植生、8月の天候etc..
すべての要因を組み合わせて発生地を予測し、広大な山の中でピンポイントの発生地に、ジャストなタイミングで向かわなくてはならない。
1週間も遅れてしまえば、キノコはもうライバルの手の中だ。
これらの「読み」が要素xなら、yは現地での聞き込みである。
麓のキノコ屋や道の駅、山中で出会ったハンターなどから有益な情報を聞き出すのだ。
もちろん馬鹿正直に聞き出そうとしても教えてくれるわけがないので、手練手管で頑張るしかない。
キノコ屋や道の駅なら買い物をすれば少しは教えてくれるだろう。
その際、これから入ろうとしている山とは別の山麓のキノコ屋で聞くと、教えてくれることも多い。
詳細な部分の精度は低くなるが、発生時期や発生高度などは十分参考にできるだろう。
山中で出会った人に聞くのは危険が伴う。
ウソを教えられることも多いからだ。
なので「ウラベニを採りに来たんですけど、あんまり出てないんですかね~」といったように別のキノコについて質問し、話し込んでいくうちにポロリと漏らしてしまうのを待つのが良い。
多くのハンターは自分がコウタケの“シロ”を持っていることを自慢に思っている(僕も例外ではない)ので、おだてながらにこやかに話をしていると、ついつい教えたくなってしまうのだ。
この方法で得られた情報はきわめて精度が高いものが多い。
逆に、情報を取られてしまったり、自分のシロが他人にバレてしまった人は悲惨だ。
先日、自分が入っていた斜面(コウタケが菌輪を作っていたところ)とは別の斜面を下りてきたプロのキノコハンターと会ったのだが、
どうもそちらの斜面では先行者にすべて採られてしまっていたようで、3日前に見置き(小さいものを採らずに置いて成長を待つこと)しておいたものまですべてかっさらわれてしまったらしい。
「キツネにつままれてるんじゃねぇかと思ったで…」と呆けた顔で語る彼を前に「むこうの斜面で大量に採れましたよ」とは言えなかった。
技術の差が「腕の違い」となる釣りや狩猟と異なり、キノコは見つけてしまえば腕も何も関係ない。
「最初の人が総取り」のこの遊びは、勝者と敗者が何よりもくっきりと現れる“残酷”な趣味なのである。
(以下、「下」に続く)
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