投げっぱなしはよくない。そんなことはわかっている。
収穫したものは必ず食べる。そんなことも当たり前だ。
そう思いつつ、ずっと手が出せないでいたものがある。
春が来るたび、心の奥底にたまった澱のようなものがふわっと舞い上がって、気分がズーンと重くなっていた。
シシウドの塩漬けである。
シシウドの恐怖リターンズ
3年前の春、ウドと間違えて採取し悶絶したあのシシウドがなぜまだここにあるのか。
それはひとえに「採取したものは食べなくてはならない」という強い責任感によるものである。
まるで一人で闇鍋を開催し「箸でつまんだものは必ず口に入れないといけない」ルールを遵守するかのようないじらしさだ。己の性格が愛おしい。
とはいうものの、もともと毒物であるわけではないし、塩漬けにしているのだから食えないことはないだろう、という思いもあった。
東北の人はシシウドなどのセリ科山菜の塩漬けを食べ慣わしているというし、ベニテングタケだって茹でこぼして塩漬けにしたら食べられるのだから…
塩漬けシシウドを調理する
タッパーを開けると、漬けこんだときよりもはるかに渋い色合いになったシシウドが出てきた。
見えなくなるほどに塩をかけておいたのだが、かなり水分が出たようでむき出しになっていた。
心配になって匂いを嗅いでみたが、腐敗臭などは特にはしなかった。
というより、非常に独特な、うまみ成分と発酵臭に、シシウドのセリ科特有の香りが合わさったような香りがした。
もっとも近いのは、梅こぶ茶だろうか。酢臭さを抜いた酢コンブに近いかもしれない。
このシシウドは製菓材料やハーブに使われる「アンゼリカ」と非常に近い仲間で、強い香りがある。
生の時はもう少しどぎつい西洋風の匂いだったが、塩漬けになったことで和の方向に落ち着いたような印象だ。
少し、ほんの少しだけ、期待が高まる。
表面の塩をよく洗い流した後、流水に2時間ほどさらして塩抜きをする。
全体的に同じ深緑色になり、ウドとの区別点である節の赤味や滑らかな微毛は全く分からなくなってしまった。
この状態で「ウドの漬物です」なんて言って出されても見分けはつきそうにないが…
軽く端っこを噛んでみると、
…
やはり苦渋い。
だが、生を食べたときのような臨界値を超えた渋さではない。
やはり塩漬け、塩抜きによってアクが抜けたのだろうか。
先述の香りと相まって、風味はさほど悪くない…かもしれない。
残ったアクを抜くのに、油は欠かせないだろう、ということで、ごま油を引いたフライパンで強火で炒め、白だしとみりんで簡単に味付けしてみた。
塩漬けシシウドの炒め煮、完成。
塩漬けシシウドを食べてみた
いざ、覚悟を決めて実食!
(・~・;)…
…んー、んんー? うんー…
これは…ぎりぎり…ダメな感じ。
苦み渋みは確かにかなり減少したが、それでもまだまだ残っていた。
どうも加熱するとダメなようで、塩抜き直後と比べると非常に強まってしまっている。
また、調理前は悪くない香りだと思っていたが、油との相性が悪いのか、口の中でどうにも調和しない。
むしろ揚げるなどして完全に油料理にしたほうが良かったかもしれない。
アシタバの香りが大好き!という人には逆にオススメだが。
味:★☆☆☆☆
価格:★☆☆☆☆
ただ、どうも葉の先端に近いほど渋みが強いようで、葉柄の付け根に近い部分や、タケノコ状の新芽の部分はそこまでではなかった。
今回は全体を一緒に塩漬けにしてしまったので苦みが移ってしまったが、新芽の部分のみを塩漬けにすればもっとおいしく食べられるだろう。
ただ…
そこまでして食べたいかというと、残念ながらNOだ。
アイヌの人々も、冬の間の野菜不足に備えて救荒植物として塩漬け保存をしていたのだろう。
僕は日々の糧に感謝しつつ、今年は本物のウドを採っていきたいと思っています。
コメント
てんばおくもじを参考にしたらどうでしょう
古い記事にコメントお許しください。
まず、シシウドよりも近縁種のエゾニュウのほうがおいしいです。
採取してまず湯にくぐらせてシナっとさせてから川を剥きます。
葉っぱも塩蔵できます。
塩蔵期間は半年以上の期間が必要で、食べられるのは正月頃からです。
できれば一度お盆に天地返しをしてください。
漬け汁は新しいのと交換しないこと、ここがポイントです。
食べ方は塩抜きをして油いためか鶏肉との煮物。
我が家では正月の煮物に必ず入れます。
自分が持ってる山菜の本(発行年が昭和48年と古いですが)によると、シシウドは、塩漬けしたものを、脂っぽいものと一緒に調理するとよいみたいなことが、書いてあります。